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矢部史郎『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』



矢部史郎『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』


友人が貸してくれたので読みました。
「うん、まあそうだよね」という内容だったのですけど、
ひとつ、驚いた箇所があります。


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自分の娘の娘の娘なんて、じつのところ、自分とはぜんぜん
関係のない他人です。いま各地で小さな市民グループが作られていて、
めいめい、「○○の会」という団体名を名乗っています。
長崎のある市民グループは、「七世代先の子供たちのために美しい大地を守る会」
という名をつけた。これはものすごいことです。
七世代先なんて、完全に他人ですよ。
「赤の他人をまもるんだ」と宣言しているに等しい。
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著者はほめてるんです。
「赤の他人をまもる」と宣言しているに等しい、と。
いやもう、びっくり。
七世代先って、赤の他人なの?
自分の娘の娘の娘が、
「自分とは全然関係のない他人です」って?


自分の娘の娘の娘はひ孫ですよ。
自分とものすごく関係のある、身内ですよ。
大事な大事なひ孫ですよ。
彼女が死ぬまでの幸せを、私は願います。
その彼女は自分の子供なり、孫なりの幸せを願うだろうことは
当然だから、私も、彼女の子供や孫の幸せを、願います。
それをずっと繰り返していけば、七代先なんて、
もうすぐそこです。


放射能による環境汚染にしても、
遺伝子組み換え種子による汚染にしても、
一度汚してしまったら取り返しがつかないのに、
自分たちの子供や孫やその子孫が、その汚染環境から
逃れるすべはないのに、推進派はどうしてそんなことが
平気でできるんだろうって思っていました。


なんか、謎がとけたというか…。
著者は推進派とは真逆の方ですが、その彼が、
未来の子供たちを「他人」と言う。


であれば、推進派の人たちからしたら、孫だって「他人」かもしれない。
もしかしたら、「子供」すらも他人なのかもしれません。
自分さえ死ぬまで安泰でいられれればいいのかもしれません。
そういう思いで、環境を汚しているのか!となんだか
わかった気がします。


私は、もう言葉も通じない先の未来の子孫が、
核のゴミを前にして途方にくれている姿を想像すると、
そんなことはしちゃいけない、って思います。


未来の子供たちは、他人じゃないです。
私たちの、子供たちです。
命はつながっています。
想像しましょう。未来の彼らの生活を。


あとがきに著者の娘さんが、移住先で
できたお友達と、授業参観に原子力問題を選び、最後に
「福島第一原発の事故は、事故ではなく、人災なのです」
といったそうです。
人並み以上に「空気を読む」娘さんが、
たったふたりで、毎日を過ごす教室全体に向かって。


そもそも原子力問題を選ぶことからして
勇気がいったことと思います。その決意に、おもわず涙。
えらい!ってほめたい。


3・11に対して、東電の引き起こした放射能拡散事件を
3・12と呼ぶというのをこの本で初めて知りました。
私もこの公害事件を3・12と呼ぼうと思います。


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