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『水俣の教訓を福島へ―水俣病と原爆症の経験をふまえて』



水俣の教訓を福島へ―水俣病と原爆症の経験をふまえて


友達が貸してくれて、で、すぐ次の人にまわさないとなので、
とりあえず、要点だけメモ。


・原爆症(旧)認定基準の基礎となっている児玉論文は
二つの論文に基づいている
 (1)「死亡率調査12報第1部癌:1950-1990年」
 (2)「原爆被爆者における癌発生率、第2部:充実性腫瘍、1958-1987年」
(1)では2.5~10キロメートルの被曝群が、
(2)では0.01シーベルト(10ミリシーベルト)未満被曝群対照となっている。
つまり、対照群とされた人たち自体が低線量被曝者であり、
被曝者同士を比較しているので、結果的に影響を過小評価していることになる。


・水俣病の初期には「ネコ400号」の実験結果の公表が10年遅れたり、
毛髪水銀検査の結果が生かされなかったりした。

・原因物質をめぐっても、有機水銀説を否定するアミン説や爆薬説まで飛び交った。
有機水銀が原因とわかってからも、一部の専門家からは「有害物質は
海に捨てると薄まる」という論調を流した。


・水俣病は1956年に正式に認定されているが、チッソが操業を停止する
1968年まで現地でまともな調査はされなかった。それまでに確認された
水俣病患者もたった100人あまり。


・1965年に新潟水俣病が発見されて、第二次研究班の調査が始まった。


・胎盤は有害物質を遮断すると信じられていたので、
当初胎児性水俣病はなかなかみとめられなかった。


・水俣病の患者への補償金はチッソから払われた。その結果、
チッソを生かしておかなければ補償金が払われなくなる、という風潮を
作り出し、チッソの救済が、被害者救済より優先されるおかしな
事態になった。


-------------
確かに今も、被害者より東電がずっと優遇されています。
国としての教訓は、いかされていない、というか、
十分に生かして水俣病で歩んだ道(被害はなかったと見せかける道)を再現しようと
していると思われます。
国際的にもそういう被害者切捨てが成功するということは、
チェルノブイリでの事例が証明しています。





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